そうはいっても未成年(成人しました)

このブログはすべてフィクションです。

男女平等を謳うほどに男性との距離を感じる話

 

Twitterでは今日も様々な被害報告がなされている

 

・駅のホームで男性にけられた

・女性というだけで美しさを強要されているつらさ

・女性の生理への男性の不理解

 

真実虚実あわせてたくさんある。

毎日見る。

 

このようなツイートを見るたびに私は男性への恐怖感を募らせてしまう。

私の周りの男性はそのような人は全くいないのに。

あたかも目の前の男性があのツイートでみたひどい人であるかのように

不必要に疑ってしまっている。

 

 

世間では男女平等が叫ばれている。

そのおかげで女性はこれまで女性というだけで我慢しなければならなかった苦痛を堂々と主張できるようになった。

そしてその主張の矛先は男性であることが多い。

 

「私たちは男性からこんなひどいことをされた!」

 

かわいそう。加害者最低。

男性は歴史的に見ても特権的であったことは本当である。

多くの女性がその理不尽に苦しんできたし、今も苦しんでいる。

 

ここからは私個人の問題だ。

 

私はそのようなツイートを見て加害者だけでなく男性一般に恐怖する傾向にあるようだ。

電車で隣に座った男性を警戒してしまう。

仕事につながる素晴らしい機会を与えてくれる方と距離をとってしまう。

 

あのツイートの人のようにこの人は私になにかひどいことをするのではないか。

そうしたら私はどのように対応すればいいのだろう。

 

怖い

 

そのような考えになってしまう。

 

男女平等の考えはそのようなことを望んでいない。

私の望む世界は性差関係なくお互いの足りないところを補い合いながら生活していくことだ。相手が男だろうと女だろうと堂々としていたい。

男性と女性で人をくくることこそナンセンスに感じることもある。

 

男性に恐怖するだけでは問題は解決しない。

性別の溝が深まるだけである

 

そのはずなのに、

 

男女平等が叫ばれるにつれて男性をなんとなく避けてしまうのはなぜだろう。