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アートにおける市場価値とは何か
売れればいいアートなのか。
最近、「アートは売れなければ意味がない」という方の話を聞いた。
彼はとあるベンチャー企業の取締役で、とても頭のいい方だった。
それなりに美学の素養もあり経営の知識も豊富なのだろう。
これから彼とともにとあるアートプロジェクトに携わっていく予定なのだが、彼のいうことがどうも引っかかる。
彼曰く、
「美しいかどうか」はもはや現代アートを語る上では意味をなさず、ある作品がどのようなことを表しているかに評価基準はある。そのような不安定な価値基準の中で何を指針にしていくかを考えたときにそれを 金額 として制作をしたい。
このように書けば新進気鋭のアーティストのように聞こえるのだけど、何か違う。
というのも彼の大前提には「お金儲けをすること」がある。
(そこが気にくわないし、それを出発点にした作品は絶対にいい作品にはならない、とおもう。)
彼にとっては作品に付随する解説とか意味はすべて売るための営業文句なのだそうだ。
作家にとってとても名誉なことである美術館での展覧会や収蔵も作品の価値を上げるための一要素でしかないようだ。
何だこいつ…バカにしてんのかぁ…?
たとえば1億で絵が売れたとして、それがいい絵であるかはどうでもいいって感じ?
いままで多くのアーティストと話してきたけど成功しているアーティストで売ろうとして作品創ってる人なんていませんけどね…。
売れる商品を作りことはとても大切だ。
どんなにいいものを作っても売れなければ意味がないし、自己満足なってしまう。
有名な賞を獲ってもアルバイト生活から抜け出せないアーティストも多い。
そしてジレンマがあるのも事実で。
評価されるために作品を作っているわけではないけど、評価されないと誰も注目してもらえない。
でもそこで売れることを目的にしてしまってはいけないし、それは芸術作品とはよべないのではないか。売ることももちろん大事だけど、その前にいいものを作らないといけないのだ。
ではいい作品とはなにか、それを自分で探すこともまた作家の仕事なのだ。
相手の作りたいものをつくることだけではいけない。そこに作家のエッセンスを加えていかなけばならないと思う。
相手の言葉のみ聞いた作家のない中身スカスカな作品は、アートコレクターには絶対見抜かれる。
彼は売れるアートを作りたいのだと思う。
私はそれに加担しなければならないのだけど、なんとも言えない気持ちになっている。
彼のいうことが全部間違っているわけでは決してないし、私のようなちんちくりんに一から語ってくれたことにはとても感謝している。
このプロジェクトにとても関心があるし、貢献したい。
この業界のことなめてんなぁとも思うのと同時にそこを改善できたらいいものが作れると思う。そのような方向からこのプロジェクトにで貢献したい。
美学なくしていいアートはあり得ない。考えても何がいいアートかなんて一つの答えは出ないけど、それを見つけていく行為そのものが現代アートなのだよ。(何様)
だからこそこの敵はとても大きいみたいだ。
徹底した市場調査と研究をして売れているアーティストには魂があることを証明しなければならない。
制作に関するプレゼンが来月にあるため、なんとか自分の意見をまとめられるように頑張ります。