そうはいっても未成年(成人しました)

このブログはすべてフィクションです。

私も色々考えてたんだな

私全然ブログ更新しないよなって思いながらなんとなく記事管理のとこ見てみると(普段はほとんど見ない)なんと下書きがめちゃあった。

 

しかも文章キレッキレやないの。

 

その時は文芸畑の人と仲良くしていたこともあり、それの影響なのかな。

当時親しくしていた小説家(あえてそういうけど)の文章の影響がとても感じられる・・・。

 

公開したいけど、当時の私の羞恥心を尊重してしないどいてあげよう。。

 

夜の鬱屈とした気分の時ってなんであんなにいい文章書けるんだろう。

太宰治がいい文章書くのにも頷けるわ。

暗いのね、私(笑)

 

でもそんな私もだいーーぶ大人になったよ。

 

けどまぁ当時の悩みと地続きなことで苦しいこともあるけど、素敵な人にたくさん出会って、すこしずつ大人になってるわよあなた。そこそこ幸せよ。これからもっと幸せにしてあげるからね。

 

手始めにあったかいお風呂で今日買った本読もうね〜〜^^

人のせいにはしません。

 

やる気がないのならそう言えばいいのに、

努力する気なんて1%もないのならそう言ってください・・・。

 

ないのにあるような言動をしていると「え、さっきまでの意気込みは?」となります。

 

だらだらしてるのはいいと思う。

日頃のストレスや疲れもありましょう。

 

けど頑張る気もないのに「やらないとなぁ」は見ててイライラする。(これは私の問題でもあるけど)

 

私のタイプを全部満たしている人なんだ、1点を除いて。

 

頑張っている人

 

ここに目を瞑って(というか付き合ってからだんだん気がついてきて)3年目になりそうだけど、やっぱり気になるのはここなんだよなぁ。一回話し合わないと。

いや、頑張ってるの。毎日の激務も本当によくやってる。みてて私が苦しいくらい。それを認めてあげたらいいのに。休みの日は休むって決めて休めばいいのに。

 

周りがずっと努力してるから自分もやんないとって焦ってるんだろうな。

けど目の前のゆっくりしたい気持ちを優先して(全く悪いことではないけど)だらだらしてる自分に自己嫌悪しちゃうのだろうな。

 

目標がないのよね、きっと。

 

留学もやりたいことだけど、あくまでも会社の制度として行かないといけないから英語の勉強もしてるって感じ。本当の自分のやりたいことではないのだろうな。

けど本当にやりたいことなんてみつからないし、どう探せばいいかわからないし、それを説いた自己啓発本はそんなの読むのダサいって一蹴してプライドが許さないから読まないし、でもネットでは検索してみるよ。けどなんにもみつからなーい。

 

みてるとこんな感じなのかな。

 

彼自身も苦しいんだろうね(そんな自分の感情には鈍感だろうけど)

少しずつ見つかればいいね。

 

 

で、終わってたのよ話は。いままでならね。

 

最近だんだんそのダラダラみてるの嫌になってくるよ。

嫌なのも、その前の「頑張りたい」っていう会話があるからなの。

さっきの言葉はなんだったの??っていう感情っていうのかな。

 

ダラダラすること自体はいいの。

けどそれでいいの?って内心思ってる。

 

大事なのはここから

 

きっと彼が変わることはないだろうし、この先もきっとそういってダラダラしてるんだと思う。自分が変わるきっかけを作るのは自分だし、私が彼を変えようなんて傲慢なことは考えない。

 

大事なのは、その隣にいて私がどうあるか。

 

隣でダラダラしてても私は努力する。

その怠惰に引っ張られない強い心を持つ。

 

彼が昼まで寝てても私は朝から勉強する。

 

彼がごろごろパズドラしてても私は単語する。

 

彼は彼、私は私。

 

私が怠惰な理由を絶対に彼にはしたくない。

そんなのダサすぎるでしょ。

 

強い心を持って行動しようと改めて思いました。

そしてそうやって私が努力した先に二人の関係が続いているのかはわからない。

その時の心の声に従おうと思います。

 

自分が大切だと思っていて、一度目を瞑ったつもりのものって絶対に後から問題として浮上してくるのだな・・・。

 

 

 

 

2021/03/19 23歳になって、自分の気持ちの揺れにに気がつく。

どうやら2ヶ月半に一回すっごく気分が落ち込む時がある。

ピルの飲み始めの副作用とかあるのかなって思ってたけど、落ち込みに周期があることに最近気がついた。その記録。

 

10月

ピルのみ始め。バイトも無理なくらい何もできなかった。立ってるだけで涙が溢れてきて普通の生活をするので精一杯だった。

 

1月

会社を一回休む。休む前日は本当に何もできずに泣いてた。

丁寧な生活を心がけて、朝ごはんをしっかり食べてお笑い見て友達と遊んで回復。

 

3月

ちょっと休んで起きたらやばかった。ごめんなさいごめんなさいが頭の中を駆け巡って涙が止まらなくて本当にきつかった。優しくしてくれた彼氏にも本当に申し訳ないというか優しさが逆につらかった。

ほっといてたら回復

 

躁鬱気質ってやつなのかな・・・?

 

昔から無意味にハイになる時があって、(過去記事でも書いた)中学の時とか部屋で一人狂ったように踊りまくったりしてたんだけど、ローの時にはあんまり注目してこなかったな。

 

多分家のことが大変でローになる原因がはっきりしてたからそれが解決したら元気になれるって思ってたんだと思う。

 

だけど今は、とってもしあわせで満たされているにもかかわらずこんな感じの周期で落ち込みが来るから気分の周期に気がつくことができたみたい。原因がないのに悲しくなって自分が大っ嫌いになって涙が止まらなくなるって変だよね。

 

前に何かで見た、「緊張や怒りや悲しみは過ぎていく一時的なもの。それを自覚しておくだけでも違う」(半分自分で作ったかも)っていう言葉が結構支えになってる。

自分を客観視してどういう状況か、これからどうなりそうかの予測が立てられたら怖くないよね。

 

正直精神科とかにいくのは抵抗あるなあ。。。

鬱になって休職している友達を見ていると一度自分に休むことを許すと戻るのが本当に大変になる気がする。休むっていう選択肢が入ってききゃうというか。

呪術廻戦の虎杖くんのセリフがなんにでも当てはまる気がする。

もちろん鬱になるのが悪いっていうわけじゃないよ。それを認めてしまうと楽なのと同時にこれまで頑張ってきたことも否定しそうでちょっと怖いんだ。

 

 

とにかく、自分の気持ちの傾向を知ることができたのはよかった。

少しずつ大人になっていくなぁ。

大人になるって楽しいなぁ。

 

 

 

 

アートにおける市場価値とは何か

 

売れればいいアートなのか。

 

最近、「アートは売れなければ意味がない」という方の話を聞いた。

彼はとあるベンチャー企業の取締役で、とても頭のいい方だった。

それなりに美学の素養もあり経営の知識も豊富なのだろう。

これから彼とともにとあるアートプロジェクトに携わっていく予定なのだが、彼のいうことがどうも引っかかる。

 

彼曰く、

「美しいかどうか」はもはや現代アートを語る上では意味をなさず、ある作品がどのようなことを表しているかに評価基準はある。そのような不安定な価値基準の中で何を指針にしていくかを考えたときにそれを 金額 として制作をしたい。

 

このように書けば新進気鋭のアーティストのように聞こえるのだけど、何か違う。

 

というのも彼の大前提には「お金儲けをすること」がある。

(そこが気にくわないし、それを出発点にした作品は絶対にいい作品にはならない、とおもう。)

 

彼にとっては作品に付随する解説とか意味はすべて売るための営業文句なのだそうだ。

作家にとってとても名誉なことである美術館での展覧会や収蔵も作品の価値を上げるための一要素でしかないようだ。

 

何だこいつ…バカにしてんのかぁ…?

たとえば1億で絵が売れたとして、それがいい絵であるかはどうでもいいって感じ?

いままで多くのアーティストと話してきたけど成功しているアーティストで売ろうとして作品創ってる人なんていませんけどね…。

 

売れる商品を作りことはとても大切だ。

どんなにいいものを作っても売れなければ意味がないし、自己満足なってしまう。

有名な賞を獲ってもアルバイト生活から抜け出せないアーティストも多い。

そしてジレンマがあるのも事実で。

評価されるために作品を作っているわけではないけど、評価されないと誰も注目してもらえない。

 

でもそこで売れることを目的にしてしまってはいけないし、それは芸術作品とはよべないのではないか。売ることももちろん大事だけど、その前にいいものを作らないといけないのだ。

ではいい作品とはなにか、それを自分で探すこともまた作家の仕事なのだ。

 

相手の作りたいものをつくることだけではいけない。そこに作家のエッセンスを加えていかなけばならないと思う。

相手の言葉のみ聞いた作家のない中身スカスカな作品は、アートコレクターには絶対見抜かれる。

 

 

 

 

彼は売れるアートを作りたいのだと思う。

私はそれに加担しなければならないのだけど、なんとも言えない気持ちになっている。

 

彼のいうことが全部間違っているわけでは決してないし、私のようなちんちくりんに一から語ってくれたことにはとても感謝している。

このプロジェクトにとても関心があるし、貢献したい。

この業界のことなめてんなぁとも思うのと同時にそこを改善できたらいいものが作れると思う。そのような方向からこのプロジェクトにで貢献したい。

美学なくしていいアートはあり得ない。考えても何がいいアートかなんて一つの答えは出ないけど、それを見つけていく行為そのものが現代アートなのだよ。(何様)

 

だからこそこの敵はとても大きいみたいだ。

徹底した市場調査と研究をして売れているアーティストには魂があることを証明しなければならない。

 

制作に関するプレゼンが来月にあるため、なんとか自分の意見をまとめられるように頑張ります。

 

 

 

いつか書いた日記の供養

 

2年前の私が書いた日記

 

----------

今日は、一日中特に疲れるようなことはしていないのにとっても疲れた。

学校さぼって家にいて6時からバイト行って、12時くらいに帰ってきて、それだけなのに、とても疲れた。バイト先で何かあったわけでもないけれど、特に嫌なことがあったわけでもないけれど、とっても疲れた。

週末にとっても楽しみなことがあって、それが楽しみでバイト先のみんなにウザがられるほどルンルンしていたはずなのに、今はネガティブなことしか考えられない。

 

なんでだろうと思いながらこの記事を書いていたのだけど、ふと思った。

これはまさか鬱では…?

ルンルンで気分が上がった分反比例して鬱になっているのでは?

だとしたら私めちゃくちゃめんどくさいやつではないか?

この気分はハイパーアッパー後(過去記事参照)に訪れる鬱感覚と似ている。

他人からの評価が気になりすぎて何もできなくなる。

言葉を発するのが極端に面倒になる。

猫背になる。

 

あああ、とにかくこの状況を早く抜け出さなければ。

ひたすら気持ちの曇が晴れるのを待つしかないのだけど。

頑張ります。とにかく今日はお風呂に入ってあったまって寝ます。

おやすみなさい。

----------

 

 

男女平等を謳うほどに男性との距離を感じる話

 

Twitterでは今日も様々な被害報告がなされている

 

・駅のホームで男性にけられた

・女性というだけで美しさを強要されているつらさ

・女性の生理への男性の不理解

 

真実虚実あわせてたくさんある。

毎日見る。

 

このようなツイートを見るたびに私は男性への恐怖感を募らせてしまう。

私の周りの男性はそのような人は全くいないのに。

あたかも目の前の男性があのツイートでみたひどい人であるかのように

不必要に疑ってしまっている。

 

 

世間では男女平等が叫ばれている。

そのおかげで女性はこれまで女性というだけで我慢しなければならなかった苦痛を堂々と主張できるようになった。

そしてその主張の矛先は男性であることが多い。

 

「私たちは男性からこんなひどいことをされた!」

 

かわいそう。加害者最低。

男性は歴史的に見ても特権的であったことは本当である。

多くの女性がその理不尽に苦しんできたし、今も苦しんでいる。

 

ここからは私個人の問題だ。

 

私はそのようなツイートを見て加害者だけでなく男性一般に恐怖する傾向にあるようだ。

電車で隣に座った男性を警戒してしまう。

仕事につながる素晴らしい機会を与えてくれる方と距離をとってしまう。

 

あのツイートの人のようにこの人は私になにかひどいことをするのではないか。

そうしたら私はどのように対応すればいいのだろう。

 

怖い

 

そのような考えになってしまう。

 

男女平等の考えはそのようなことを望んでいない。

私の望む世界は性差関係なくお互いの足りないところを補い合いながら生活していくことだ。相手が男だろうと女だろうと堂々としていたい。

男性と女性で人をくくることこそナンセンスに感じることもある。

 

男性に恐怖するだけでは問題は解決しない。

性別の溝が深まるだけである

 

そのはずなのに、

 

男女平等が叫ばれるにつれて男性をなんとなく避けてしまうのはなぜだろう。

 

 

 

突然の性癖

今ふと気が付いたことがある。

私はどうやら文才のある異性に惹かれるようだ。

 

というのも、久しぶりにTwitterにログインしてみたら、

ダ・ヴィンチ・恐山氏の以下の短編に巡り合った。

note.mu

 

読みながら「ぐっ」という膣の疼きを感じた。

いい。この、ひねくれた文章。

うまくは言えないのだけど、文章の作り方から

「あ~この人ひねくれてるんだろうなぁ」っていう空気感。

小説の内容とかじゃなくて(なお小説は大変面白い)文章の作り方に人間性が出る感じ

私の性欲スイッチを連打してくれた。

 

 

 

ちなみに私の「好きなタイプ」は

・言葉と態度で愛を表現してくれる人

・話し合いができる人

ガリガリじゃない人

・セックスがそこそこうまい人

 

であるので、「文章がウマい人」は「恋人にしたい人」ではない。

そして以前に慕っていた人も文を書く人だったし、

今の彼氏を好きになったきっかけも、身長の低い私の自虐に対して

「小粒山椒でピリリと辛いってことじゃん」

といわれ、トゥンク…としたことがであった。

 

自分の新しい一面を発見した。

 

まぁ、それだけっす。